幼い頃、親に連れられ遊び回った遊園地はもはや残骸と成り果てた。崩れ落ちたゲートをくぐり、折れた柵をまたいで園内に入れば、無人の遊園地は最早こどもの王国でも何でもない、地獄の一部となっていた。傘の部分が根から折れたメリーゴーランドや、山が途切れたジェットコースター、誰もいない売店。よく見れば、売場に並んでいたはずの土産の菓子の類は何もない。おそらく、食料を求めた人々が盗んでいったのだろう。
 黒い革製のブーツの底が割れたガラスを踏み割った。タイル敷きの地面には細かな破片が散らばっている。ガラスは人がいなければ劣化していくが、おそらく原因はそれではない。残骸ばかりの遊園地は手入れもされず、雑草ばかりが揺れている。見上げればそこには、ひしゃげた観覧車があった。

「メリーゴーランドと観覧車、君はどちらが好きだ?」

 振り向かないまま、問うにしては小さな声で尋ねれば、およそ三秒の間を空けて答えが返ってくる。

「不明です。どちらにも乗った経験がありません。また、実際に見たのはこれが初めてです。判断できません」

 人の声だが奇妙に平坦なのは、感情がこれっぽっちも籠もっていないからだろう。多かれ少なかれ人の声には感情が乗るものだが、この声にはそんな類の物は含まれない。どんなに小さな呟きにも反応する代わりに、声は決してヒトらしい喜怒哀楽を伝えない。
 重い足をゆっくり引いて振り向くと、そこに私の部下が立っていた。

「なるほど」

 両腕と両目を機械で置き換えた部下は、しかし実際は見えないだけで、体の大半を機械化している。それは体の大半を失ったことと同意だ。私と同じ軍服の下は温かな人肌などではなく、冷たい金属で出来ている。表面だけではなく、内側もだ。脳にまで及んだ機械化は、部下をヒトから機械に変え、部下も自分がヒトであった事実を覚えていない。
 そこまでして生かす必要があったのか、実のところ私には分からない。争乱の世の中だ、むしろ爆撃に遭って頭が吹き飛んだ、その瞬間死んでいた方がまだましだったかもしれない。だが結果として機械となった部下は部下であるという認識を持ったまま、私の後ろにつき従う。ただしかつて所属していた部隊もなくなった今では、部下と上司という関係は意味をなさない。だが、黒髪に覆われた思考回路の中では、私はいまだに上司で、自分自身が部下だという関係が築かれたままなのだろう。たとえば昔二人でこの遊園地に来た記憶など何も残っていないのに、それだけは残り続けているのだ。
 それは私に安堵をもたらし、同時に失望を覚えさせる。

「さて、では、どこに行こうか」
「どこにでも、あなたが行くところについていきます」

 今度は間髪無く平坦な声が答える。敷かれたタイルを無視して、遊園地を一直線に横切っていく。くるくる回る空中ブランコも、園内を一周する小さな列車のレールも、かつての友人でそれ以上の存在でもあった人の記憶も、何もかも壊れた遊園地に私はそっと置いていく。

「それなら、争いのないところへ」

 有り得ない理想を語り、それに無機質な声が反応する前に、私は重ねる。

「回るならメリーゴーランドよりも、観覧車が良い。そうは思わないか?」

 かつて二人、共に乗り、眺めた、遊園地のネオンや街の灯り、星空、向かい側の横顔。もう見ることも出来ないそれらを後ろに捨てていく。だから私は振り向かない。部下は十秒の沈黙を経て、そうですね、と平坦な声で同意した。




ミズキは「戦争」「観覧車」「人工の主従関係」を使って創作するんだ!ジャンルは「純愛モノ」だよ!頑張ってね!


↓twitterに投稿した原文。
回るのならばメリーゴーランドよりも観覧車の方が良い。残骸となった遊園地を横切って、どこに行こうかと問えばどこにでも、と答えが返ってきた。どこにでもついていきますよ、と自分がヒトであったことを忘れた部下は言う。ならば争いのないところへと、有り得るはずのない理想を語る。