買って一ヶ月経った新しいレンズは、今まで使ってきたものよりもいくらか軽い。そのことが逆に不安で、テルオはファインダーから目を離し、もう一度のぞき込んでピントを合わせ直した。黒いレンズはしゅるしゅると音を立てて、数メートル離れた庭で、ベンチに留まっている鳥にピントを合わせる。準備はできたと言わんばかりに軽い電子音が鳴った。
 片目で覗いたファインダーの中で、鳥はのんびりと囀っていた。
「写真撮るのっておもしろい?」
 後ろからかけられた声には振り向かず、テルオはシャッターを押した。かしゃん、と、フィルムカメラと同じような音が発された。ぼんやりとした秋色の背景の中でくちばしを開ける鳥が一羽、データの中に収められる。
「あんまり」
 率直な感想に、後ろのベッドで少女が笑う気配がした。
 無言で被写体を鳥から秋咲きのバラに変え、さらに二、三度写真に収める。ちょうど今が盛りらしいバラは鮮烈な赤色で、病院の庭には少しばかり不似合いだ。だがはっきりとした色はテルオも嫌いではない。
 撮った写真を画面で確認して、そこでようやくテルオはカメラを肩にさげて窓から離れた。レンズカバーを慎重に取り付け、足下に置いていた鞄にそっとしまいこむ。
 振り向くと、ベッドの上で上半身を起こしているチカと目が合った。伸びた髪は一つにまとめ、痩せた顔にはまだ幼さが残っている。不健康に白い頬や穏やかな色合いをした瞳からは少女らしい好奇心が見て取れた。
「なにに使うの、その写真」
「べつに。新しいレンズの練習みたいなもんさ」
「そういえばレンズ、新しいのに買い換えたって言ってたね。前のより性能良いの?」
「少しばかりな。あと、ちょっと軽い」
 貸してと言わんばかりにチカが細い手を伸ばしてきたので、テルオは電源を切ってカメラごとそっと彼女に手渡した。躊躇うような拙さで指先がカメラをなぞり、今しがた切ったばかりの電源を入れたかと思うと、撮っていた写真を見始めた。見られて困るようなデータは特には無かったので、データに手を加えるなよ、とそれだけを注意してベッドの横の椅子に座った。
 ふわりと漂ってきたのはテルオが持ってきて活けた花の香りだった。明るい黄色や白い花を中心にした花束で、香りが強くない物を選んできたはずだったが、さすがに近づけばその香りははっきり感じられた。どの角度から撮れば綺麗だろうか、としばらく花を眺めていると、チカが画面を見ながら問いかけてきた。
「ねえおじさん、人は撮らないの」
 このカメラ、あんまり人写ってないよね、と確認するように少女が言う。さっきまで撮っていた鳥やバラを思い出し、そう言えばそうだ、と今更のように気付いた。返されたデジタルカメラの電源をまた切って、ふざけるように彼女にレンズを向ける。電源を切っている上にレンズカバーがついた状態なので、どう頑張ってもチカの姿は写らない。
「チカが被写体になってくれるなら撮るけど」
 構えながらどんな返事がくるかは分かっていたが、とりあえず口に出してみた。予想通りチカはカメラから逃げるように手で顔を隠し、
「いやだよ」
 と笑いながら言った。



 チカのいる病院を出て、切っていた携帯電話の電源を入れた。メールを手動受信すると、三通届いていた。メールマガジンだった二通を削除し、もう一通には目を通す。チカの母親で、チカの様子はどうか、という内容だった。
 改札を抜け、狭いホームへ立つ。ローカル線しか走っていない駅には電車が一時間に一本しかこない。時間を確認すると、運が良いことに次の電車まであと十分程度だった。待つついでに自動販売機で冷たい缶コーヒーを買い、ベンチに座る。ホームにはテルオ以外誰もいない。
 缶コーヒーをゆっくり飲み、ぼんやりと駅のホームから見える町の様子を眺める。海が近いせいか風がやや強く肌寒い。初めて来た時には潮の香りがすると思ったが、通いなれた今では嗅覚は何も反応しない。ただ今はコーヒーの強い香りがする。冷たい缶を握りしめ、テルオは一気にそれをあおった。よく冷えた液体が食道を下って胃に滑り落ちていく、その感覚に背筋も一緒になって冷えたようだった。冬に近づき始めている今の時期にわざわざ冷たいコーヒーを買った自分を罵りたくなった。
 自分への罵倒を缶にこめてゴミ箱に放り込むと、いよいよやることがなくなった。仕方なくしまい込んだ携帯電話をもう一度手に取り、メールボックスを開く。姉からのメールにどう返信しようかと、言葉を頭の中で組み立てては崩していく。持て余すように折りたたみの画面を開けては閉じ、開けては閉じる。
 チカが難病を抱えて入院生活を送るようになり、そろそろ三年が経つ。今年で十七歳を迎える少女はテルオの姉の娘で、勿論テルオは彼女が生まれた時からよく知っているし、チカもテルオに懐いている。病気に罹り遠方の病院にいるとは言え、テルオにしてみれば可愛い姪であることに変わりはない。故にテルオは多忙な彼女の両親の代わりであるかのように、一週間に一度、電車に乗って会いに行く。そのたびに少女は嬉しそうに笑顔で迎えてくれた。
 姉夫婦はテルオのように毎週訪れることは出来ない。誰よりも娘を心配しているだろう彼女や彼女の夫へ、出来るだけチカのことを教えてやりたいとテルオは確かに考えている。それならば見たことをそのまま言葉に換えてメールに打ち込み送信すれば良い。
 それを躊躇うのは、どう頑張っても少女がだんだんと死に近付いていく、その記録を書いているような気分に陥るからだ。
 三年という時間は口にすれば短いが、過ごせば長い。その間にどれだけ病状が進んでいるのか、病気に罹る前の少女の姿を思い出そうとしたが、テルオの頭の中に浮かんでくるのは病室で横たわる痩せた頬の病人だけだ。頭を振ってイメージを振り払おうとしたが、いつまで経っても消えてはくれず、昔の姿を思い出すことも出来なかった。
 開いたまま放置していた携帯電話の画面は真っ暗になっていた。画面を覗き込むと、髪を短く整えた、疲れた顔をした男が暗く映った。酷い顔だと自嘲すると、目の前の自画像もまた唇を歪ませる。こんな顔を写真なんていう記録に残されたくはないな、と一人ごちた。
 写真を撮られることを嫌うチカはいつもそんな気分なのだろうかと、カメラを向けるたび顔を覆う少女のことを思う。恥ずかしがりなところのあるチカは、昔から写真を撮られることが苦手だった。それに比例するように彼女が写った写真は極端に少ない。
 電車が近付いてくる音がした。返信することを諦め、携帯電話を折りたたんでポケットに突っ込む。ホーム同様乗客のいない電車の中は何の気配もしない。心地良いようで陰鬱な静けさの中、溜息を吐き出して座席に腰掛けた。電車はあっという間に動き出し、ホームがどんどん遠ざかっていく。窓の外をじっと見ていると、一週間後にまた訪れる町の中に、チカがいるであろう病院がちらりと見えた。



 テルオの家は写真屋だ。曾祖父の代から続く写真屋は、今はテルオの父親が三代目として店を継いでいる。昔からカメラに触れてきたテルオは特に何かの反発や葛藤もなく、父の跡を継ぐために写真系の専門学校に通い技術を身につけた。卒業してからは父親の元で一緒になって働いている。
 店の入り口から帰宅して真っ先に目に飛び込んでくるのは、正面の壁に掛けられた、綺麗なフレームに収められた幼い子供の写真だ。七五三の記念に撮ったもので、恥ずかしげな顔をした少女は赤い着物を着ていた。十年近く前に撮った、唯一と言って良いチカの写真だ。
 靴を脱ぎ、しばし掛けられた写真を見ていた。テルオが店で働き始めたのもこの写真を撮った辺りで、撮影に付き合った覚えがある。チカはその頃からカメラから逃げる癖があった。撮影中幼い彼女が逃げ出さないように、その気を引くのがこの時のテルオの仕事だった。
「懐かしいなあ」
 ドアが開く時に鳴るチャイムが聞こえたのだろう、店の奥から父親がやってきてテルオに並んだ。既に六十歳を越している父親は老眼鏡をくい、と指先で押し上げながら、同じようにチカの写真を見て目を細めた。
「うん、本当に懐かしい。チカは写真を撮られたがらないからなあ。これは良く撮れた」
「うちにあるチカの写真って言えばこれぐらいか」
「そうだな。あとはせいぜい、証明写真くらいなもんさ」
「少ないな」
 テルオの一言に父親は苦笑したようだった。つられるようにテルオも情けなく笑う。それから手にしていたデジタルカメラを、入り口横のカウンターの奥に置かれた鍵付きロッカーの中に戻した。テルオが見舞いに行っている間に客が来たらしい、プリントし終わった写真を入れた紙袋がカウンターに二つ並んでいた。おそらく現像を頼まれたのだろう。どちらも同じ名前が父親の字でメモされており、受取時間を確認してそれをそっと横に寄せる。寒さを感じて小型のストーブのスイッチを入れると、テルオは店番と言わんばかりにカウンターの椅子に座った。
 父親はまた居間に戻っていくのかと思いきや、同じようにカウンターに入ってきた。テルオは側にあった椅子を勧め、ストーブの位置を彼の方へ少しずらす。父親は恥ずかしそうに無言で頭を掻いた。息子の気遣いがくすぐったかったらしい。
 二人が向かい合うように座ると、自然と沈黙がその場に降りた。
「チカのところに行ってきた」
 父親が分かっていると知りながらも、テルオはそう切り出した。彼は小さく頷きまた老眼鏡を指先で押し上げた。
「どうだった?」
「いつも通りだったよ。顔色は相変わらず良くなかったけどな」
「……そうかい。やっぱり、だめか」
 老眼鏡の奥で、目がそっと伏せられた。悲しむような表情を前にテルオは無言で、道すがら買って来た温かな缶コーヒーを一つ差し出した。父親がそれを受け取ると、二人で無言になってプルタブを開けた。重苦しい沈黙を埋めるように一口、また一口と喉にコーヒーを滑らせる。限りなく黒に近い液体が缶の飲み口でゆらゆら揺れていた。
 溜息をついたのは父親だった。
「なあテル、なんであの子は、写真に撮られるのが嫌なんだろうなあ」
 コーヒーの缶を横に置き、懐から煙草を取り出しながら父親はそう呟いた。だがここが仕事場であることを思い出したらしい、ポケットから出したライターをすぐにしまい込んだ。
 火のついていない煙草を口に銜えたまま、父親はカウンターから壁に掛かった写真を見ていた。目を細めてテルオもまた見る。病院の庭に咲いていたバラと同じ赤色の着物が、離れたカウンターからもはっきりと存在を主張していた。
「この歳になるとな、いろんなことを忘れるんだ。結婚式を挙げた時の母さんの姿だって、写真を見なきゃはっきりと思い出せないんだ」
「……」
 父親の枯れたように細い指が、少し離れたところに掛けられた別の写真を指した。古ぼけた大判の写真には、黒い羽織の青年と、白無垢を着た女性が寄り添って佇んでいる。テルオの両親が結婚した時の物だ。
 それを見るたびに母親も父親も、懐かしそうな顔をすることをテルオは知っている。
「忘れたくないんだがなあ、あの子の顔」
 電車を待ちながら思い出そうとした、元気だった頃のチカの姿は今も浮かんでこない。いくら記憶を掘り返しても、出てくるのはだんだん細くなっていく哀れな少女の姿だけだ。玄関に飾られたあの写真を見ても蘇ってくるのはその当時のことだけで、一向に成長した姿は現れてきてくれない。
「俺も、忘れたくないよ」
 口をついて出たテルオの主張を掻き消すように、店のドアが開きチャイムが鳴った。ふくよかな女性とその子供だろう高校生が連れ立って店に入ってくる。
 父親が立ち上がり、数秒前までの沈痛な話題などなかったかのように人当たりの良い笑みを浮かべた。親しく挨拶を交わし合う。どうやら写真の現像を頼んでいた客らしい、父親がちらりとテルオを見た。
 横に寄せていた二つの写真の袋を引き寄せながら、テルオはもう一度向こうに掛かった二つの写真へ視線を投げた。はるか昔の姿をそのままに残した写真は見慣れているはずなのに、なぜかこの瞬間だけはまったく別の存在のように見えた。
 写真を見なければその当時のことを思い出せない、と父親は言う。その通りだとテルオも思う。だが、写真はただその瞬間を切り取っただけだ。被写体はその一秒後にはもう変わっている。着物姿の少女からその成長した姿を思い出せなかったように、写真は決して時間の流れを見る側に与えてはくれない。
 それがひどく残酷なことのように思えたのだ。



 一週間ぶりにチカの病室に入ると、彼女はベッドの上で体を横たえ、点滴を腕に刺していた。目を閉じ、少しだけ唇を開いた少女の顔はいつも以上に青白い。ブランケットがかけられた体が微かに上下しているのが見えなければ、死んでいるように見えたかもしれない。
 目を開け、驚き立ち竦むテルオに気付いたチカは、緩慢な動作で上体を起こした。悪戯がばれた子供が浮かべる表情をしていた。
「どうしたんだ、この時間は点滴じゃないと思ってたんだが」
「ちょっとね、体調を崩してたの」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ」
 そう言ってチカは笑って見せたが、以前よりも頬が痩けていることはテルオにも分かった。一瞬自分の眉間に皺が寄るのが分かったが、すぐにいつもの表情を取り繕う。妙に強情なところのある少女は、どれだけ心配しても大丈夫だと言い張るのが分かっていたからだ。
 花瓶には新しい花が活けられていた。おそらく姉夫婦が見舞いに来たのだろう、花はまだ真新しい。今日は花を持ってきていなかったが、逆にちょうど良かったようだ。椅子を引き出しつつ、一週間前のように花を見つめる。白いバラやマーガレットが中心の華やかな花束だが、見舞いの花にしては珍しく青い花が、白い花を引き立てるようにいくらか使われていた。
「あのね、おじさん、お願いがあるんだ」
 青い花は何だろうか、と考えていると、不意に声を掛けられテルオの意識は現実に引き戻された。
 チカはいつになく真剣な表情をしていた。彼女は言葉を探すように少しだけ視線をさまよわせ、僅かに掠れた声が躊躇いがちに、その唇を割って出る。
「写真を撮って欲しいの」
「何の?」
「あたしの」
「……そりゃあまた、なんで急に。撮られるの嫌いだったろ」
「あんまり好きじゃない、緊張するし。でも、撮ってもらいたいんだ」
 おじさん、カメラ持ってきてるしね。チカはテルオが肩から提げている鞄を指さした。一眼レフのデジタルカメラは今日もまた自分の役目を果たそうと、鞄の中にひっそりと収まっている。
 チカは恥ずかしそうに、だが真剣な目でテルオを見ていた。チカからそう言い出したことへの驚きがまず反応を遅らせた。そして次に感じたのは喜びや嬉しさ、戸惑いですらない、緊張だった。
 だが、悩むことはなかった。
「分かった」
 短く答えると、安心したように少女は頬を緩ませた。
 体を起こした少女から少し離れ、テルオはカメラを構えた。室内で露光が足りないように思えたが、シャッタースピードはなんとか手ブレが起きない範囲内だ。少女の表情がよく見えるようレンズをいじる。ファインダーをのぞき込み、シャッターを軽く押してピントを合わせる。レンズが動いてチカにピントが合った。表情には緊張が見て取れたが、それでも彼女は精一杯笑みを浮かべていた。
 カメラを構えながら、テルオは自分の指先が震えていることに気がついた。いつもやっている動作がまるで奇妙なことのように思われ、躊躇いに手が止まる。言いようのない不安が足下から這い上がり、テルオの体を支配しようと迫っているようだった。
 チカはテルオの躊躇に気づいているのかいないのか、ただ微笑んでいる。少女の表情を目にして、漠然とした不安が確かな形を持ち始めるのを感じた。それは決して使いなれないレンズを使っている不安感ではない。
 一週間前、忘れたくないと言った父親の言葉が耳の奥で再生される。その反対側ではあの時感じた、時間を切り取るだけの写真の残酷さが蘇ってきていた。
 このままシャッターを切って良いのだろうかと自問する。答えはない。シャッターを切ればカメラは役割を果たし、チカの一瞬はこの先もずっと変わらずあり続けるだろう。だが、写されたチカは変わっていくのだ。それと分からないくらい少しずつ、静かに静かに。
 そして近い将来、チカは死ぬだろう。
「お願いね、おじさん」
 何も知らないチカは言う。チカの死が怖い。それと同じくらい、彼女が死んでも変わらない写真が怖い。切り取ったチカの時間は止まったままで、その先ずっと動くことはない。時間の流れに置き去りにされたようにそのままで、同時に色褪せていくのだ。
 人差し指がぴくりと震えシャッターから離れる。手にしている黒い機械がまるで正体の分からない化け物のような、そんな感覚がした。このままシャッターを切ってしまったら、この機械は彼女の残り少ない命を吸い取ってしまうのではないか。子供じみた妄想が頭の中をよぎり、カメラを放り出してしまいたいとさえ思った。
「……ああ」
 だが、同時に考えてしまうのだ。ここで彼女を写さなければ、テルオはいつか彼女の姿を忘れるだろう。人は忘れる生き物だ。どれだけ大切なものでもいつかは記憶から消えてしまう。この愛しい姪さえ同じだ。趣味の悪い冗談のようだ。怖いと思っているものに縋らなければ、きっとテルオは彼女の姿を忘れてしまうというのだから。
 俺だって忘れたくない。チャイムで掻き消された言葉が、再生された父親の言葉と写真は残酷だと叫ぶ自分の考えを覆い隠すように頭の中でぐるぐると回る。入り口に掛けられた着物姿のチカと今のチカ、そして父親が指さした両親の写真がそれに混ざる。忘れたくないことで頭の中はいっぱいだ。
 唐突に、あの日チカの目の前で撮ったバラを思い出した。一週間以上経ったバラはもうすでに枯れているだろう。だがあの時に撮った写真の中ではバラは未だ美しい。データの中で鮮やかな赤色を輝かせているはずだ。
 チカの顔を見据えた。
 今こうして構えていることも、それと同じなのではないか。写真屋としての意識が誇らしげにそう答える。いつか枯れる花の美しい姿を記録するように、テルオはこれから生きているチカの姿をカメラに収めるのだ。口に出せない恐れを閉じこめるように強く思う。次第にぐるぐると回っていた頭の中が静まり返り、テルオはもう一度シャッターを半押しする。またピントが合った。
 不安を飲み込み、代わりに冗談を吐き出した。
「ちょっと待ってくれないか。緊張してな」
「写真屋なのに」
「若いお嬢さんを撮るのは久しぶりなんだ」
「変なの」
 カメラから逃げ出さず真っ正面から見据えて微笑む少女の顔を、同じくらいの真剣さで応えるようにファインダーから覗く。こんなにも大人びた表情が出来る子だったのかと今更のように感嘆した。
 なぜ、この時になって彼女は写真を撮ってほしいと願ったのか。疑問が鎌首をもたげてくる。それもやはり答えはない。チカに聞けば分かるだろうが、その一方で聞いても答えは教えてもらえないのではないかとテルオは半ば確信していた。
 だから、カメラマンの表情の裏側で想像する。テルオやテルオの父親が忘れたくないと願っているように、チカもそう願っているのではないだろうか。病気で体が弱っている今、体調を崩すということは死に直結している。例えばベッドで苦しみに喘ぎながら、病魔に体が蝕まれていくのをはっきりと自覚する。その中で自分自身の死を間近に感じ、少女は恐怖したのではないだろうか。少女が死んだその後、時間と共に人々に忘れ去られていくということに気付き、一人恐怖したのではないだろうか――
 少女がきちんとカメラを見ていると分かっていながらも、いつもそうするように口に出す。
「じゃあ、こっち見ろ。撮るぞ」
「うん」
 ほんの少し前にこの少女の命を吸い取るのではないかと想像した機械を手で包む。
 今この瞬間に感じている不安や恐怖は、きっとこの先も続いていくだろう。チカが死ぬまで忘れることは出来ないし、もしかすれば彼女が死んだ後も、カメラを構えることそれ自体が思い出させるかもしれない。そしてそれを克服する術は、おそらくテルオには無い。
 それでもテルオは撮り続けるのだ。
「笑って」
 白いバラの後ろでひそやかに咲く花のように、少女の顔に浮かんだ表情を自分の目に焼き付ける。指はもう震えていない。
 切り取る瞬間テルオは思う。変わらない少女の写真が恐ろしいというのなら、この先、自分は少女の姿を記録するように撮り続けよう。たとえそれが彼女が死んでいく記録だとしても、確かに少女は生きていたのだと証明するように。彼女のことを忘れないために。
 少女は笑っている。

 かしゃん、と軽い音をたてて、一秒にも満たない少女の一瞬が切り取られた。