人にはきっと、ラベルが必要だ。個人名だとか外見の特徴だとか、そういうものではなく、どんな集団に所属している存在なのか、どの集団がその人の基準になっているのか、という、ラベルが必要だ。たとえばサラリーマンだとか。たとえば電車の乗客だとか。そういう、曖昧で、意味が広くて、でも確かに、その集団の構成員なんだと分かるような、そういうラベルが。
 わたしにはすでにラベルが貼られている。いわく、「女子高生」。ちょっと短いスカートに、背伸びしたような化粧品とかわいらしい持ち物を持った、女子高生というラベルが、きっと、わたしの全身には貼られている。視界を邪魔しない程度に隙間なく貼られたわたしのラベルは標準的だ。どこもおかしくない。人混みに紛れてそのまま大きな事故に巻き込まれてあっけなく死んでしまうような、映画のエキストラのような、風景の一部だ。それが、わたしが愛してやまないラベルのはずだった。
 それを剥がそうとする手を、わたしは許さない。そんな話をしたときに、男が真っ先に発した言葉は「馬鹿だな」という一言だった。

「いずれお前もこうなるよ」

 疲れ切った顔をした男はそう言って、いやらしく笑ってみせた。わたしが一番いやな顔だ。ひたすらにもがく人間を、何もかも知っているような目であざ笑う。馬鹿だ、無駄だ、滑稽だ、とわたしを否定する言葉が銃弾になってその辺りを飛び交うのだ。
 いずれそうなる? どうなるというの? わたしも、あなたのように、あなたたちのように、諦めきった顔で全部受け入れて、通り過ぎる人たちをただ黙って眺め続けるような、そんなものになるというの?

「いやだ」

 そんなものにはなりたくない。血を吐きながら首を横に振ると、視界の端に奇妙に折れ曲がった白い手足が見えた。わたしの手足だ。見慣れたセーラー服の裾が破れている。体中が痛い。そして熱い。さらに目を遠くへ凝らすと、見慣れたスクールバッグが中身を吐き出して転がっているのも見えた。お気に入りだったティント・リップや香水は、車とぶつかった衝撃で割れてしまったに違いない。

「いやだって言ったっておまえ、本当に、馬鹿だな」

 見知らぬ人の声が聞こえる。おい大丈夫か、これはもうダメだ、車のナンバーは、しっかりしろ、救急車を、いや警察だ、誰か、誰か、誰か。男も、女も、年齢もばらばらの人たちが必死な顔でわたしの周りでざわめいている。きっと彼らにもラベルが貼ってある。サラリーマンだとか、通行人だとか、フリーターだとか、自己の目撃者、だとか。
 死にたくないなあ、と思う。そう思ったのが分かったかのように、やっぱり男は笑うのだ。人混みの中、私を助けようと必死な人たちに紛れて、でも誰にも気付かれないまま。

「そんなになっても死なないんじゃあさ、何やったって無駄だよ」

 誰も彼もが、男の方など見向きもしない。ひしゃげた女子高生のすぐ横に立って、うすら笑った顔色の悪い男など、この世界に存在しないのだと言うかのように。
 向こう側からサイレンが聞こえる。救急車がきた、もう大丈夫、あと少しがんばるんだ、必ず助かるよ、そんな慰めの言葉がわたしに降り注ぐ。でも、言っている人々は誰も、それが真実だと思っていない。分かっていながら嘘をつく。大きなトラックにひき逃げされた哀れな女子高生はもう助からないと、分かっていながら希望を吐き出す。沈痛な顔。今まで何度も見てきた、何度も繰り返してきた光景だ。
 彼らは何も知らないから、そんなことを言えるのだ。
 死にたくない、と必死に呟けば、やっぱり口から血が溢れてきた。一番近くにいた男の人が悔しそうに顔を歪めて、必死に涙を堪えていた。彼の目に今のわたしはどう映っているのだろう。突然突っ込んできたトラックのせいで、未来を奪われた哀れな女子高生だとでも、映っているのだろうか。三文芝居だな、と嘲る声は聞こえなかったことにした。
 救急車に乗せられたわたしを追うように、男はあっさりと同乗してきた。救急隊員はやっぱり男の存在など知らない風に動いて、わたしに声をかけ続ける。その目にも諦めが浮かんでいるのが分かって、だったら最初から無駄なことなどしなければいいのに、と思った。死ぬって最初から決まっているのなら、下手な慰めなんてむしろ残酷だ。その残酷さが刃となって、わたしの心をずたずたにしていく。
 何度繰り返したって痛いのはいやだし、死ぬのは怖い。死にたくない。わたしはいつだって、恐怖に押しつぶされそうだ。何をどうやったって死なないと分かっていても、それを証明したくて仕方がないし、それが正しいんだって証明されたところでわたしの死への恐怖は変わらない。むしろ証明されればされるほど、わたしは死ねないのだという事実が圧倒的な絶望感となって体を蝕んでいく。
 おまえはバグだよ、と男は言った。この世界に存在する無数のバグのうちの一つだよ、と。おれが誰にも見えないのと同じように、だんだん、だんだん、普通の人間の中から弾かれていくんだ。

「……いやだ」

 いやだ。わたしはならない。そんなおぞましいものにはならない。わたしはこの世界のバグなんかじゃない。わたしは普通の、ただ死ぬことが怖いだけの、ふつうの女子高生だ。体中にべたべた貼り付けたラベルをこれ見よがしに提示して、わたしは普通の人間として振る舞うのだ。ああ、けれど、こんな怪我をして、こんなに汚れているんじゃ、この制服はもう着られない。アスファルトで擦ってしまった短めのスカートも、道端で死んだスクールバッグも、もうわたしを守ってくれない。ラベルを、貼り直さなければいけない。
 だって貼り直さなければ、わたしはきっとこの世界から追い出されてしまう。死なない人間なんてこの世には存在しないのだから。わたしは普通の、ただ死ぬことが怖いだけの、ふつうの女子高生だ。そうなのだ。そういうラベルを貼っているからまだ、この世界で生きていける。生きていくことが許されている。
 でも、じゃあ、わたしを許しているのは誰だろう。ラベルを貼れなくなった瞬間、わたしをこの世界から追い出すのは、誰だろう?

「諦めちまえば楽なのにな」

 かわいそうに、と疲れ切った顔で男は言う。そんなこと、これっぽっちも思っていないくせに。